子供はなぜか毎日桜の根元を掘りにやってきた。
男が頑として場所をどかないからかその横の土を掘り返す。といっても所詮子供の力なのでスコップは土の上を撫でるように滑る。手で砂を払うのとなんら変わりはしない。
どうせ子供のやることだ。そのうち飽きて止めるだろう。そう思って一週間。子供はまだ通い続けている。どうして城を築くでもなくトンネルを開通させるでもなくただ穴を掘っているのか。
男が怒鳴ろうがなだめすかして言い聞かそうがどこ吹く風だった。一体どんな教育を受けてきたのやら。最も平日の昼間に幼稚園にも保育園にも通わずこんなところに来ることを黙認する親なんて、碌な人間ではないだろうことは確かだが。
子供もそんな男の態度を気にした風もなく、手にしたスコップをふるう。それにしても、どうしてこの子供はそんなにも穴を掘りたいのだろうか。
「おい、クソガキ」
土を掘るのに夢中になっていて声に気付かない。子供が掘ったわずかなくぼみに砂を掛け埋め戻そうとすると、子供はやっと男の方を向く。こてりと首をかしげた。
「おまえ、今いくつだ?」
鼻柱についた土をぬぐおうとするとむずがるように顔をそらした。手は宙を掻く。子供は指を何回か折っては開きを繰り返して最終的に片手を大きく開いて突きつけてきた。五歳。もし男の子供が生きていて、大きくなっていたらそのくらいの年齢だったはずだ。もうそんなに経つのか、とまだそれしか経っていないのか、という思いがないまぜになって鼻の奥がつんとした。
「おじさん、おてて、イタイの?」
子供がじっと男の手を見つめる。無意識に握りしめていた手を解いた。浮浪生活でかさついた手が思い出したように痛む。
「手は、別に痛くねえよ」
「そっか!」
スコップをくるくる回して、子供はまた穴を掘り始める。
「……おまえ、なんで穴なんて掘ってんだ?」
「ぼくはね、おかあさんにあいにいくんだよ」
「じゃあさっさと会いにいきやがれ。こんなところで土を掘ってないでよ」
「あいにいくためにほってるんだよ! おかあさんはね、つちのしたにいるんだよ。だからぼくもおかあさんのところにいきたいの」
子供の言った単語に思わずドキリとした。土の下……男は舌打ちをして子供を見つめた。
おそらく子供の保護者か何かが、母親の死を婉曲に伝えようとしてそんなことになったのだろう。人が死んだら土に還るというのは、火葬されてちっぽけな壺におさめられる現代じゃ成り立たない理屈だ。それをバカ正直に子供が信じ、地面を掘りに来た。そんなところだろうか。
そのことを子供に伝えることは簡単だ。そうすればもうここを掘りに来ることもないだろう。だが男の口をついて出た言葉は
「ブラジルに行きたいんか」
という間抜けなものだった。
「ぶらじる?」
子供は首をかしげる。未就学児らしき子供の世界は家と近所で構成されているのだろう。そんな子供の世界を広げてやるのは悪くない。
穴に向かって、日本の裏側のブラジル人に話しかける。あるお笑い芸人の鉄板ネタを思い出した。くだらないギャグだ。そう言えば昔妻が好きだと言っていたな、とふと思い出す。
「日本の反対側にある国だ。つまり土の下にあるってことになるな」
「じゃあ、ぼくそこにいきたい! つちをほって、ぶらじるにいきたい!」
「ふん。勝手にしろ」
子供があまりにも楽しそうに言うものだから、男は毒気を抜かれ喉をぬるい液体で潤していた。