男が桜の下に戻ると、いつものように子供が穴を掘っていた。なぜだかその光景に男はほっとして、一体何にほっとしたのか夜になるまで悩んだ。

朝靄を切り裂くような薄紅の花弁が舞い落ちる。桜に背を預けて寝ていた男はふと近くから地獄の窯を開けたかのようなザックザックという音で目を覚ました。男は身震いした。まだ肌寒い時間だった。まだ子供の活動するようなあたたかい時間ではなかった。だと言うのに子供は、さも当然と言うようにそこにいて、さも当然というように穴を掘っていた。男は身動きが出来なかった。
その時一段と高い音がして、スコップが何かにぶつかった。男はまるで金縛りにあったように動けない。いつの間にか深く口を開いていた穴の底からは土にまみれた白く不気味なものが頭を出した。
男ははじかれたように体を起こして慌てて土を払うと、そこにあったのは白骨化した骨だった。

桜の下に死体を埋めると血を吸って花弁が赤く染まるというのは嘘らしい。その証拠に死体を埋められたこの桜は他と同じような薄紅の花弁を広げている。死んだ女の血を吸い生気を奪い恨みを糧にして美しく咲きほこっている。この五年間咲かなかった桜は、あの日と同じように悠然とたたずんでいた。まるで夢から覚めたようだった。

男はあの日、埋めたはずだった。殴り殺した妻と腹に宿っていた子供と共に、明け方の公園で咲きほこる桜がせめて犯罪を犯す男の姿を隠してくれるようにと。罪悪感と共に誰にも掘り返されないようにこの桜の木の下に。
なぜだろう。まるで茨道を突っ切ったように手が痛む。土まみれの両手に割れた爪とカサついた手の平。
そこにはまるで当然のように子供もスコップも、存在しなかった。
最初から何も無かったかのように暗い穴だけがぽっかりと口を開けていた。中から覗くのはあの日埋めたはずの罪悪の塊とむき出しの白い骨。周りに散らばっているのは止めたと言い張って無意識のうちに口をつけていた酒のビン。染み出るようにじわじわと背筋を駆け上る後悔から目をそらし、まやかしにおぼれて男自身が両の手で掘り進めた大きな穴だ。
それを覆い隠すように降り注ぐ美しい花弁をぼんやりと見つめながら男は、罪から逃げる弱い自分を卒業しなくては、と思った。

 

上部へスクロール